予備学校の歴史

予備学校は今日、主として大学進学のための浪人受験生を対象とする受験準備のための機関(学校)で、年限は1年、学校教育法第1条に定める学校には属さず、同法第83条に定める各種学校および82条の2に定める専修学校に属している。その性格上、国公立はなく、すべて私立学校である。

上級学校進学のための受験準備教育機関としての予備学校の歴史は古い。戦後は新制大学入試のためのものとして再発足するが、そのルーツは遠く明治時代にさかのぼる。明治・大正と昭和の戦前期、予備校は当時の高等学校、専門学校入学のための予備教育機関としての役割を果たしていた。

目次

明治初期
明治5年に学制、12年に教育令が制定され、この頃からすでに中学校や専門学校・大学への入学を目標とする予備教育の諸学校が設立されるようになった。
明治15年
「各種学校は府県立4項、町村立84校、私立1131校、合計1219校である。その学科によって学校数をみれば最も多いのは漢学科の346校で、次いで読書251校、手芸162校、習字147校などである。漢学科や英学科の中には大学もしくは専門学校に入る素地をつくるものがあり、師範学校の予科を授けるものがある。」(文部省年報)
明治21年
「東京府下の東京英語学校、共立学校、成立学舎等は主として英語を教授し、官立専門学校もしくは高等中学校にはいる予備教育を行っており、入学する生徒は非常に多く(生徒数500〜1500人)、目下のところ必要欠くべからざる学校である。」(文部省年報)
明治30〜40年代
小学校への就学率も30年を過ぎると9割以上に達した。学校制度の整備拡充と産業の発展にともない、上級学校への入学志願者が増加し、30年代後半からは入試難が社会問題化するほどであった。このころ設立された予備校には、次のような3つのタイプがある。
  1. 高等学校や専門学校の受験準備だけを目標として設立された予備校
    • 研数学館(明治30年)
    • 官立学校予備校(明治33年)
    • 普通学講習会(明治35年)
    • 正則予備学校(明治35年)
    • 大阪青年会高等予備校(現大阪YMCA)(明治43年)
  2. 私立大学(当時の法令上の規定では専門学校)がひろく受験生を対象として設置した予備校
    • 早稲田高等予備校(明治36年)
    • 中央高等予備校(明治38年)
    • 明治高等予備校(明治40年)
    • 東洋高等予備校(明治41年)
    • 日本高等予備校(明治41年)
    • 東京高等予備校(明治43年)
  3. 中学校の上級コースとして中学校内に設置した予備校
    • 開成予備学校(明治36年)
    • 錦城予備学校(明治38年)
ほかに中学校、高等女学校、師範学校へ入学するための予備校、中学校への転入学、編入準備の課程としての予備コース、あるいは陸海軍の学校や医科大学など、ある特定の学校へ入学するための予備校などがあった。
大正〜昭和初期

小学校から中学校へ、中学校から高等学校や専門学校など上級学校への進学志願者は急速に増加した。とくに第一次大戦後の景気好況の頃は著しかった。例えば、大正7年の官立高等学校全体の入学志願者に対する入学者の比率は5.2%であった。

大正中期以降、高等教育諸機関へ進学する希望者が増大するのに伴い、高等学校、専門学校が大幅に拡充され、入試難は一時的に緩和されるが、昭和初期の不景気な時代には入試競争は深刻な社会問題となった。また大学を卒業しても就職口がないという、エリートコースをたどる人にとっては、はじめての深刻な事態を起こしたときでもあった。

就職難は進学難をもたらし、中学卒業生は有名高等学校の門に殺到するようになった。

予備校のほうも、大正後半期にかけては大学付設の予備校は減少し、早稲田高等予備校と専修大学予備校の2校になっているが、昭和初期には次のようなところが相次いで設置された。

  • 早数学院、東京高等数学塾、東京文官法律学校(昭和2年)
  • 文理高等予備校(昭和4年)
  • 駿台高等予備校(昭和5年)
  • 東京予備校(昭和6年)
  • 新宿高等予備校(昭和7年)
  • 河合塾(昭和8年)
昭和18年
 「認可された各種学校1605校のうち、受験準備予備校60校、無認可校698校のうち予備校38校」(文部省の各種学校実態調査)
昭和24年
新制大学が発足して、それまでの予備校は、大学入試のために受験生に準備教育を行う場としての方向を確立することになり、その後数年のうちに予備校は急速に発展するようになった。
昭和35年

昭和35年以降、予備校は地方の都市にも次第に普及し、大学進学率の増加に応じて生徒数も徐々に増えていった。

そして昭和41年に第一次ベビーブームの波が大学の門に押し寄せるころには、高校過年度卒業者(浪人)数が12万人となった。その後も進学率の上昇にともなって増加傾向をたどり50年には19万人を数えている。 

50年以降は高校卒業生130〜150万人程度で、大学等への進学率が36〜38%、高校卒業生に対する高校過年度卒業者(浪人)数は14〜15%前後で一定しており19〜22万人である。

20年前と比べ、ほぼ倍増の状況となっている。

昭和52年
「予備学校教育に関する調査研究を行い、会員相互の協力により、その質的向上を図り、もって専修学校・各種学校の振興に寄与する」ことを目的に全国専修学校各種学校連合会の専門部会として全国予備学校協協議会が発足した。
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